日本分割統治計画

スリランカの歴史もまた植民地支配の歴史であり、
16世紀はポルトガル、17世紀はオランダ18世紀はイギリスに。

これらの国の植民地として支配され続けてきましたが、
1948年にイギリス連邦内の自治領「セイロン」として独立。

1972年に国名を「スリランカ共和国」と改めイギリス連邦加盟の完全独立国となり、
1978年にはジャヤワルダナ氏が大統領に就任し「スリランカ民主社会主義共和国」としました。

第二次世界大戦後、
サンフランシスコ講和会議(1951年)において、
日本に対する巨額の賠償請求や戦勝国による日本の分割統治計画が議論されました。

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戦勝国にはそれぞれの思惑があったのでしょうが、
スリランカ(当時のセイロン)代表、ジャヤワルダナ蔵相(後の大統領)の演説が大きく影響し、
日本は分割統治を免れたとされています。

以下、その内容を掻い摘んでお届けしますが、少々長くなりますので紅茶などをご用意ください。



『アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもっているのは何故でありましょうか。
それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが植民地支配されない自由で強力な力を持っており、
日本を保護者にして盟友として見上げていた時にアジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。

私はアジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、
そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者が画することにより彼等の愛する国々が解放されるかも知れないという希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出すことができるのであります。

(「共栄のスローガン」とは、日本が大戦中に唱えた「大東亜共栄圏」のことであり、実際に欧米諸国の植民地支配からの独立を目指す国々の代表が東京に集まって、「大東亜会議」が開催されている。
さらにビルマ、インド、インドネシアでは、日本が支援して設立された独立軍が、これらの国々の独立戦争に大きな役割を果たした。)

我々が連合国に対して天然ゴムの唯一の生産者であった時、その主要商品であるゴムを枯渇せしめたことによってもたらされた損害は、
我々に損害賠償を要求する資格を与えるものではありますが、我々はその賠償を請求するつもりはありません。
 
何故なら我々は、アジアの無数の人々の生命を高貴な言葉、偉大なる教師であり、仏教の創始者である、仏陀(ブッダ)のメッセージ、
すなわち『憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。

この教えは日本へも伝わり、我々との共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。

我々は平和を望む日本人に機会を与えねばなりません。
故に、この条約の目的とする処は日本を自由にし、日本の回復に何ら制限をも課さず、日本が外部からの侵略及び内部よりの破壊に対して、
自らの軍事的防衛力を組織するようにすること、そうするまでには日本防衛のために友好国家の援助を要請すること、
並びに日本経済に害を及ぼすような、いかなる賠償も日本から取り立てないことを保証することであります。』



当時の総理大臣であった吉田茂元首相は、「日本人はこの大恩を後世まで忘れてはならない」と残しています。

これって歴史の授業で教わったのかな?
恥ずかしながら、僕が知ったのは数年前です。

かつての東西ドイツ、南北ベトナム。
そして、日本が植民地支配していた朝鮮半島もまた、第二次世界大戦後にアメリカとソ連によって分割占領され今日に至ります。

日本全土が分割統治されなかったとはいえ、沖縄は1972年に返還されるまではアメリカでした。
日本の歴史上、はじめて外国に統治されたのです。

想像してみましょう。
故郷に住む両親、兄弟姉妹、壁を隔てた向こう側にいる友人や恋人に簡単に会うことはできない。
あるいは、もう二度と会うことができないかもしれない現実を。

残留孤児などの問題をはじめ、引き裂かれた人々はそれぞれの土地で辛い思いを強いられます。
それは次世代にまでおよび、差別やいじめなどを生み、新たな紛争の種となるのです。

今でも沖縄にはアメリカ軍の基地があり、自然環境の破壊、犯罪、軍用機による事故、騒音問題などが後を絶ちません。

今もなお、真の平和と自由を勝ち取るために戦っている人々の心の内はどのようなものでしょう。
一度起きた戦争は終わることが無く、かたちを変えて世界中で今も続いているのです。



地球上で、誰のものでもない海や大地や空を奪い合う生物は人間だけです。
ありもしない線を勝手に引いて、奪ったり引き裂いたり。

全ての人間がそうではないとも思いますが、
自分も人間であることを受け入れ難くなり、一度しかない人間としての現世をどのようにして生きてゆくのかを考えさせられます。


1996年11月1日に亡くなったジャヤワルダナ大統領は遺言を残しました。
「右目の角膜はスリランカの人へ、左目の角膜は日本の人へ」
1999年、彼の遺言通り群馬県の女性に移植されたました。

ちなみに11月1日は紅茶の日とされています。
偶然でしょうか。



Guitarman

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